2010年7月21日
まあるいエネルギー
今はなかなか良いVAASTUの環境で暮らす日々です。
別の場所と比べると、魂の平安やそれを育む気づきが運ばれてくるような、神のサポートを感じます。
スムーズで、滞りがありません。
インド占星術で惑星の悪影響を緩和するナバグラハというプジャ(儀式)を受けるときも同様の感覚があります。
どちらも自分が丸く球体に収まるような、謙虚な気持ちになります。
球体、丸はバランスがとれています。
VAASTUでも円形の囲いの建物は良いとされています。
ですが基本は正方形で、四分割しますし、出入り口の決まりも変わりません。
傾斜の法則もあります、敷地については円形にすべしと言われてはいません。
人によっては丸や球体と感じず、一本のハイウェイがそこにあると感じるかもしれません。
たとえば良いVAASTUを手に入れたらスピリチュアリティをスタートさせることが大切だと言われています。
スピリチュアリティにおいて自分のマインドの癖を浄化したりいろいろします。
自分が丸や球体と思ってた状態が実はまったくそうではないかもしれません、感じ方はまだまだ未熟です。
この肉体がある限りカルマの影響は死ぬまで続きます。
丸や球体やと、それにこだわること自体がカルマだと言うことができます。
丸いといえば魚の卵は丸いです。
そこから出てきてからがスタートです。
地球は実際は球体ではなく、少しつぶれた形をしています。
ただ、そんな表面的な話は実は少しどうでもいいことです、遊びです。
こうして体験について色々書くことは堂々巡りで、きりがありません。
そこから出てくる、それらの一時の夢から目をさます。
立ち返る。
どこに?
すべてを手放した静寂にある平安に。
無双であり絶対である真理に形はありません、この表現は理にかなっているはずです。
瞑想で立ち返るとき、そこへ立ち返ることを育んでいきます。
本来の状態でいられる守護の土台を育みます。
静寂のシヴァは魂を守護します。
大切なことは、答えの形にこだわることではなく、実践することです。
もちろん神聖な叡智として残された形は道しるべです。
ですが横を通り過ぎて、次に進まないと道しるべは役に立ちません。
それは道しるべではないかもしれません、その横にたまたまあった犬のフンかもしれません。
それを探し続けていったら山で遭難するかもしれません。
我々が「こうしていけば」と思っていることは本当に幼く遅々たるものです。
そこから先にあることを受け取る、育まれる、それを吸収する、それを神々から受け取り実践する。
それは呼吸と同じです。
呼吸は自分の力ではできません。
自分で肺をモミモミできますか?
様々な呼吸のしかたがあります。
それは一見コントロールに見えますが、実際はそこに自分の感情や癖が影響を与えていることを自覚して、その影響から自由になり本来の状態へと戻るためにあります。
そしてそれは、与えられるものです。
与えられた本来の状態でいるときの呼吸は一人一人違います。
瞑想で静寂にいるときも、たとえば僕の師のものと、僕のものとでは、違います。
そして呼吸のしかたをそろえても、そこで学び受け取るものを逆に邪魔することになると教わります。
例外的に呼吸のしかたを学ぶこともあります、しかしそれは一時的な側面としてのものです。
別の話をしますと、インド占星術では一人一人、違った惑星のマントラを処方されます。
ほかにも、この時期はこれをするように、というものもあります。
もっとたくさんいろんなことがあります。
でもまずは一つずつです、そして基本はまず瞑想です。
いかなる処方箋があろうとも、第一の処方箋はまず瞑想することです。
風船のようにまあるく膨らんだエゴは、その張り詰めた弾力が邪魔ですし、いつ大きな音を立てて割れて赤子を泣かすかわかりません。





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