2010年6月 1日
満点になることはない
インド占星術は、個人や組織や国家などの運命を見ることができるそうです。
そして親子を鑑定すると、やはり引き継いでいる部分や、お互いが関わる出来事はお互いにそういう鑑定結果が見て取れるようです。
VAASTUだと、そこを使う人や住む人を合わせた総合結果みたいな感じにもなります。
悪い部分が全員に影響するのか、誰か特定の人に影響するのか、色々です。
その人々が神を知らなければマンパワーだけを全てとし、お互いの癖をコピーしあったりしますから、結果的に共有することにもなり得ます。
実際にそうしたことが世の中では常識とされます。
もし、いくつも家がある人なら、寝泊まりする場所が影響するそうです。
それら複数の家を全て同じくらい使う人は、その中で最も自分にとっての拠点として意識している場所が影響するようです。
VAASTUはカルマの現状だと言われています。
インド占星術とVAASTUは関わり合っているそうです、どちらもカルマの縮図みたいなところがあります。
そしてカルマの向こうも見えるガイドラインにもなると言えます、どちらも宇宙法則だからです。
インド占星術では、鑑定結果に必ずどこか欠点があります。
なにを欠点とするかは人次第だから、多様な存在があふれるこの世界では当然だと思います。
例えば聖者の生活は、一般的な人たちにしてみれば面白くありません。
もしそんな生活をしなければならないなら、きっとそれが欠点であり不幸だと思うかもしれません。
VAASTUでも、ほとんど100%というのはなかなか大変です。
色々あってその状況に巡り会わない限りはいつでも手に出来るものじゃないです。
手にしたところで、VAASTUを知らないなら自分の欲望で別な場所に行ったり、おかしな改築だってします。
どちらの宇宙法則も、魂の歩みに沿ったものです。
良いVAASTUは本当の平安や、それを得るまでのプロセスを本当にバックアップしてくれます。
洗い流してくれるし、矯正してくれます、はじめはそれにとまどいを感じても、逆に現状にとって変化は何事もとまどいを感じさせます。
インド占星術ではプジャをして悪い惑星の影響を緩和できます。
VAASTUの影響も緩和するそうです、密接に関係しているとのことです。
インド占星術とVAASTUのどっちがベストかと言われたら、僕はどっちもやれる範囲でやればいいと答えます。
片方だけというのは損ですし、ベストなのはまず自分自身を助け魂を歩かせて成長させることです、方法じゃありません。
できる範囲で家具の配置を変えたりするだけでも、かなり変わります。
流れを少しでも良い方向へ持っていくことで、次につながります。
多少のお金はかけても、小さなリフォームだって、僕ならやります。
しかし、土地と建物を100%いじるのは大金がいります、立地だってそうそう良いものは見つかりません。
インド占星術のプジャを受けられるなら受けておき、日々の歩みを助けてもらえば、かなり楽になります。
もちろんまず自分自身の運命を鑑定して、自分が抱えているカルマそして運命を知ることで、それを手放すことができますし、逃げずに対処する覚悟もできます。
VAASTUも同じく現状まで背負ってきた、または繰り返してきたカルマが見えてきます。
そこには人間関係そして人だけが全てだというエゴが見え隠れします。
良いVAASTUを手に入れたらスピリチュアリティをスタートさせなさいと、ある聖者は言います。
肉体がある限りはカルマの影響は受け続けます。
カルマに対する態度を知っているかどうかが鍵だと思います。
VAASTUは良い部分が悪い部分をカバーすることもあれば、その逆もあるそうです。
魂の道を歩み続ける人は自動的に良いVAASTUを得ます。
そしてそのVAASTUだって100%じゃないし、インド占星術の鑑定だって何を持って100%とするのかです、良くも悪くも受け取れます。
しかしその歩みは神が守護している、バックアップしている、そういう話は沢山あります。
大切なのはそこへ向かうことです。
欲せず奉仕を続ける人が川の流れのように財を手にします、そうでなければ戦い続けて勝ち取るのみです。
そういう方向へどうやって近づけばいいのか、VAASTUもインド占星術もわかるけど、という人は、徳を積むことだと僕は思います。
カルマの法則では良いカルマは良い結果をもたらすからです。
悪いカルマは悪い方向へと落とされます。
じゃあここで言う良いカルマ悪いカルマとは何か?
それは最終的に核のレベルまで、魂のレベルまで見てみないと分からないことです。
そこにある平安、静寂、本当に我々は何者で、どこへ向かうのか?
この創造はいったい何なのか?
その宇宙の流れに沿うようにする誠意が助けになると言えます。
そしてその姿勢の土台は、瞑想が育んでくれます。
瞑想しているとき、それは本来の姿です。
もちろん体はとても休まり、色んなことが創造的にインスピレーションで行えたり、気づきが増えたりします。
しかしそれもこれも、本来の姿に戻ったときの副効用に過ぎず、大切なのは瞑想している姿、その静寂そのものが全ての土台であるという点です。
この世界は満点になることがありません、我々の見方次第で良し悪しが決まる以上、二元的である以上、どうしてもそれは50%です。
その裏にある本当の姿、真理、静寂、そこに全てを満たす何かがあります。
それを少しずつ味わって、近づいていくことで、その何かが我々を支え続けます。
この世界に満点を探していつまでも不足感を感じ続ける必要はありません。
そして努力は本当に必要です。
やってくることに責任を果たし、過ぎ去るものを追わず、魂を知る努力です。
そうしたことを邪魔して無視する自分の頭の雲、マインド、エゴ、それらを手放し、本当の意味で成長しようとする向上心は無駄になりません。
多くの人がそうした向上心を無駄だと切り捨てますが、多くの場合はそれらが間違った、どこか自分の都合で歪めた言い訳のための向上心だからです。
自分がそれをしてしまい無駄にしていたことに気づかないため、無駄だと信じているだけです。
ただ、それでも大変なカルマがのしかかるとき、難しいです。
例えばインド占星術には相に色んな典型モデルがあります。
師を傷つける、師がもっとも弟子として持ちたくない人の相というのもあります。
教えを曲解してしまい、師を実際に傷つけてしまう相です。
でもそれだって別な角度から見れば、そこにはその人にとって別な道筋があるのかもしれません。
しかし例えそうだとしても瞑想や信仰は助けになります。





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